2010年8月30日
北沢洋子

 ハンガリアは、人口1,000万の旧東欧の一国で、EUに加盟している。
そのハンガリアでは、今年4月の総選挙で、ビクトール・オルバン(Viktor Orban)が率いる保守派の「ハンガリア市民運動(FIDESZ)が、議席の3分の2を上回る多数を獲得し、オルバンは首相になった。これは、共産党支配以後のハンガリアの歴史では、画期的な出来事であった。
 これまでにない圧倒的な政治権力を得たオルバン首相は、IMFの新規融資の提案に対して「ノー」と応えた。2008年、IMFにより協力的であった前社会主義政党時代に受けた200億ユーロの融資の延長交渉中であった。
 そもそもオルバン首相は、ハンガリアの財政赤字を補うために銀行をはじめとする金融機関に課税し、700億ユーロの税収を見込んでいた。この政策はIMFにとって到底受け入れことができないものであった。
 IMFに平手打ちをかましたオルバン首相は、国際的な非難を浴びた。またあるものは、外国投資の引き上げが始まり,その結果、ハンガリアの通貨は下落を免れない、と警告しした。しかし、オルバン首相はひるまなかった。
 オルバン首相は、銀行にに課税することによって、所得税の減少分を補うことが出来ると考えた。そこで、銀行に一律16%を課税することにした。これは徴税を単純化するためでもあり、またハンガリアに古くから蔓延っていた脱税行為を減らすためでもあった。
 「減税、中小企業の支援、緊縮政策の廃止」というのが、オルバン首相の選挙公約であった。これが、最近まで緊縮政策というIMFの干渉に飽き飽きしていたハンガリア人の広い支持を得たのであった。
 7月はじめ、IMF代表団がブタペストを訪問した時、「オルバン首相は、ワールドカップに最終試合を見物に南アフリカにいる」と告げられた。これを聞いたハンガリア人の多くは大いに溜飲を下げたのであった。
 IMFとの交渉が終わった後、オルバン首相は、2006年にはGDP比9.3%であった財政赤字を2009年には、4%までに引き下げることが出来た、と語った。
実際、ハンガリアの財政赤字はEU中で最低であり、政府の債務もEU内では平均を少し上回っているに過ぎない。勿論、ハンガリアには経済問題が山済みしている。例えば、ハンガリアでは働いている人が少なく、したがって、税収も少ない。経済の改革が必要である。
ハンガリアがIMFとの交渉に“失敗”した時、世界の金融マスメディアは「ハンガリアは金融破綻に見舞われるだろう」と書きたてた。また国際格付け会社は、ハンガリアの格付けを引き下げると脅かした。IMFは交渉を再開する用意があると語った。
 しかし、オルバン首相は、新しく協定を結ぶ相手はIMFでなく、EUである、と応えた。これもまた、多くのハンガリア人の支持を得た。
 オルバンは、1998~2002年間、首相を務めたことがある。この時は、極右と関係を持っており、左翼にとっては受け入れがたい人物であった。しかし、前社会主義政権が、余りにも不評判であったことに、オルバンは付け入り、左翼よりの政策を採ることにした。
ハンガリアでは、来る10月に地方選挙を控えている。それまでは、オルバンの政策は変わらないだろうと言われる。
 オルバンにとって、評判が悪い社会主義党は敵ではない。むしろ、極右の台頭のほうが心配だ。極右は金融危機以後、非常に勢力を伸ばしている。4月の総選挙では、極右のJobbikの「より良いハンガリア運動」が、2006年の選挙では2%に過ぎなかったのが、今年は17%の投票率を獲得した。極右政党は、ハンガリア人の反緊縮政策や反資本主義といった感情に迎合し、さらにこれまでの反ユダヤ主義、反ロマ人などの政策を放棄したように見える。今年の選挙では極右政党は社会主義党から票を奪ったと言われる。
 オルバンの政党「ハンガリア市民運動」もまた、民族主義を標榜している。現在ハンガリア国外に住む200万人のハンガリア人に市民権を与えることを決定した。これは50万人のハンガリア人が国境沿いに住むスロバキアで民族対立の緊張が高まっている。
 オルバン政権は、大量の公務員を解雇した。また、報道を規制する機関を設立した。憲法裁判所を規制する法律を作ったり、憲法の修正を計画している。
 これらことは、政権が民族主義と全体主義に近づいていることを物語っている。