2011年1月
北沢洋子
英国の「ジュビリー債務キャンペーン(JDC)」の文書から
1.途上国の債務危機とヨーロッパの債務危機
今日、ヨーロッパの政府は債務危機にある。これは、まず銀行が野放図な融資をして巨額の債務を出した。これを政府が公的資金でもって救済した。そしてこの債務は、関係のない一般市民が強制的に支払わせられている。
その後、金融市場は、規制を受けることなく、政府を非安定化し続けている。ギリシア、続いてアイルランド政府が緊縮財政政策を施行し、教育、医療、社会保障、雇用に大きなダメージを与えている。
このようなパターンは、これまで途上国では、通常的なことであった。1970年代、先進国の銀行は、途上国政府に野放図に貸し続けた。そして、農産物や鉱産物など途上国輸出品の国際市場価格が下落して、収入が激減した時に、銀行が利子をつり上げた。その結果途上国で債務危機が発生した。
国際金融機関は、銀行の危機を救うために、途上国政府に対して救済融資をした。同時に、厳しい緊縮政策と自由化を押し付けた。その結果は、明白であった。貧困と飢えが蔓延した。
これに対して、JDCは過去20年以上、闘ってきた。途上国政府は、債務の監査を行なうべきである。そして、これまで、借りた分と返した分を比較する。その結果、とっくに債務は返済されていたことが明らかになるだろう。
このような作業を奨励するために、「国際債務法廷」を創設する必要がある。
2.北と南の債務危機の違い
ヨーロッパの危機と途上国の債務危機との間には、共通するところもあるが、差異もある。
JDCは、これまで南の債務危機とそれに伴う国際金融機関による緊縮政策に反対するキャンペーンを展開してきた。今日では、同じことがヨーロッパに起こっている。いまこそ、債務を発生する根本的な原因について議論し、「債務正義」を実現するために、根本的な改革を行なうべきだ。
アイルランドなどヨーロッパの債務の原因は、公的ではなく、民間の金融機関がつくりだした。2000年代、規制緩和された銀行は無制限に融資を行い、不動産バブルを生み出し、消費と成長を増大させた。
そして、バブルは崩壊する。それは2007年に起った。英国では、銀行の債務はGDPの430%に上った。これに対して、政府の債務は10倍も少なく、GDPの43%であった。
英国ではこの民間の債務が公的債務に転換していったのには、2つの方法があった。
第1に、公的資金でもって、銀行を救済した。その額、は1,100億ポンド(GDPの7.5%)に上った。さらに、英国政府はアイルランドに70億ポンドを融資した。その理由は、破産したアイルランドの銀行に、英国の破産した銀行が、多額の融資をしていたからである。たとえば国有化された「ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RMS)」は、アイルランド政府に40億ポンドを融資し、民間部門、とくに不動産業には380億ポンドを貸していた。
第2に、間接的な手段だが、民間部門に減税した。政府は多額の公的資金を銀行救済に支出したのだが、一方で不況により税収が落ち、また社会保障費も増大した。これに加えて、法人減税を行なった。これらの赤字を埋めるために、政府は大幅に民生予算を削減した。
途上国は、独裁者が作った債務を、彼らが打倒されも、その債務を返済させられている。たとえば、南アフリカ政府は、冷戦時代にアパルトヘイト政権を維持するために先進国が融資した債務220億ドルを、返済させられている。
冷戦時には、西側政府がIMF、世銀に対して独裁政権を政治的同盟国とみなして、融資させた。コンゴ民主共和国(旧ザイール)では、モブツ独裁政権に対して、IMFがモブツは「公金を横領しており、返済の見込みがない」という調査結果を発表した後でも、IMFや世銀はモブツに貸し続けた。
すでに70年代、石油ショックにより、ドル貨が余り、北の銀行がそれを途上国政府に貸した。それは、ついに持続不可能な額にまで達した。途上国政府は、新たにIMF、世銀から借り入れて、古い債務を返済するという“債務のリサイクル”が起った。
90年代には、とくに金融の規制緩和によって、西側の銀行は、タイ、インドネシア、韓国などの「アジアの小竜」たちに、多額のカネを融資した。しかし、突然貸し手が資金を引き上げた。その結果、1997年、アジアの金融危機が起った。この打撃から回復するには10年を費やした。
このように、私的債務が公的債務に転換され、債務を作ったのではない貧しい人びとによって返済されるという構造では、南北共通している。
しかし、債務が経済社会に与える打撃を見ると、南北間では差異がある。英国の公的債務はGDPの65%である。途上国では、90年代末、ザンビアの債務はGDPの200%であった。今日、ジャマイカの債務はGDPの140%に達している。
また、英国政府は債務の返済に予算の6.5%を充てている。しかしフィリピンではこれが予算の23%に上っている。
また、債務をどの通貨で支払うかについても、南北間で差異がある。たとえば、英国の債務はポンドで返済できる。自国の通貨で返済できることは、国際経済の動向に左右されることがない。さらに自国通貨の発行を増やして債務返済に充てることもできる。これは「量的緩和」と呼ばれる。これは、英国政府ばかりでなく、米国政府も行なってきた。また、自国通貨のインフレによって、債務の実質価値が下がる。英国政府は、第2次世界大戦後、GDPの250%にのぼる債務を抱えていた、これはその後のインフレと経済成長によって、楽に返済できた。
一方、途上国政府の債務保有者はほとんど国外である。そのため、債務はドルまたはユーロで返済しなければならない。そのため、輸出を増やさなければならない。80年代の債務危機に際して、IMFと世銀はアフリカやラテンアメリカに対して、換金作物、原材料の輸出を増やすことを奨励した。その結果、食糧など国内需要向けの生産が停滞した。一次産品の輸出は国際市場に左右される。また外貨の交換レートにも左右される。これが、途上国の発展の妨げとなったことは言うまでもない。
途上国の債務の保有者は外国である。そのため、債務の返済は、資金が国外に流出することになる。毎年、南から北に6,000億ドルの資金が流出している。一方英国の債務の保有者は国内の在住者であるので、資金のフローは国内ですむ。
以上のが南北間での差異である。