2014年11月3日
北沢洋子

1.世界最大規模、最長期のオキュパイ・デモ  

 去る9月28日、香港で、「行政長官選挙の制度改革」をめぐって、民主化を求める学生が街の中心部の道路を占拠した。香港島では、官庁街の「金鐘(アドミラルティ)」を始め、金融街の「中環(セントラル)」、「湾仔(ワンチャイ」「銅鑼湾(コーズウェイ)」などの繁華街、そして九龍半島では繁華街「旺角(モンコック)」の道路すべてに座り込んだのであった。これで、香港の政治、経済、金融の機能は完全に麻痺した。
 そして、今、1ヵ月が過ぎようとしている。今回の香港のデモは、2011年9月、ニューヨークのウォール街占拠にはじまった一連のオキュパイ・デモの中でも、相手が北京の中国共産党政権という強大な権力であること、運動側の規模、期間の長さ、秩序、非暴力性において群を抜くものであった。

2.香港政府と民主派学生の直接対話

 10月21日、はじめて、香港政府と民主派学生代表との間の対話が行われた。学生の組織は、「香港学生連合(Hong Kong Federation of Students)」、周永康(Alex Chow Yong Kang)事務局長など5人が対話に参加した。
 すでに占拠がはじまって以来、3週間が経っていた。対話の模様は、官庁街「アドミラルティ」広場に設けられた大型スクリーンに映し出され、1,000人を超える占拠学生が見守った。
 両者の最大の論争点は、香港行政長官選挙で、「立候補者は1,200人の指名委員会によって選ばれた人に限られる」というところにあった。これは、指名委員会の多数が親中国派で占めており、さらにその半数以上から推薦されなければならない。その結果。候補者は中国派の1名に絞られる。つまり「民主派を排除するものだ」というのが、学生側の解釈である。
 これでは、18歳以上の市民が1人1票制度で行政長官を選出するという民主的な直接選挙制度が無意味になってしまう。中国本土においても、直接選挙制度である。しかし共産党が1人の候補者を推薦し、これを1人1票で追認する。つまり香港の選挙制度と変わらない。ちなみに米国の大統領選挙も、日本の首相選出も間接選挙である。
 対話は、両者の意見が対立したまま終わった。別れ際に政府側が学生たちに握手を求めて、和やかな雰囲気の中で終わった。

3.学生と政府の対立点

 香港は、過去155年間、英国の植民地であった。その時代は、英政府が任命した総督が支配していた。1997年に中国に返還されたのだが、英国と中国の合意によって「香港基本法」が定められた。これは、香港の憲法に当たる。
 基本法には、香港は返還後も50年間は、「1国2制度」の下で、外交と国防を除く「高度な自治、言論の自由、司法の独立」が保障されている。行政長官の選出については、「広範な代表性を持つ委員会が民主的な手続きで指名した後、普通選挙で選ぶ」ことになっている。
前回2012年の行政長官の選挙では、「選挙委員会」の1,200人しか投票出来なかった。今回は、香港政府の「報告書」にもとづいて、今年8月、北京の全国人民代表大会(日本の国会あたる)の常務委員会が、17年に予定されている選挙制度を決定した。
 学生側は、「行政長官選挙の候補者は、一定の市民の支持があれば、誰でも立候補できる制度の導入」を要求した。これに対して、政府側は、「基本法には、誰でも立候補できると書いていない」、「また中国政府の決定に対して、異を唱えることは出来ない」、なぜなら、香港は独立国ではなく、中国の「特別行政区」であるからだ、と学生の要求を撥ねつけた。
また政府は、学生がこの選挙制度を受け入れなければ、12年の方式に戻す、と脅迫した。つまり1人1票制度を取り止めるぞ、ということだ。
 さらに学生側は、香港政府の「報告書」に誤りがあるので、「補充が必要だ」、「少なくともそのスケジュールを示すべきだ」と主張したのに対して、政府側はこれを拒否した。

4.警察の弾圧に対抗する「雨傘革命」

 占拠学生に対して、機動隊は、9月28日夜から29日未明にかけて、催涙弾87発を発射した。これに対して、学生たちは、催涙・胡椒スプレーを防ぐために傘を広げた。ここから「雨傘革命」と呼ばれるようになった。
 以後、学生たちの要求に、「梁振英行政長官の辞任」が加わった。バスなどに、彼の顔写真に「指名手配(Wanted)」と書かれたポスターが貼られた。長官はデモ隊によって「689」という綽名で呼ばれる。これは12年の行政長官選出の時、720万の総人口の中から、わずか1200人の選挙委員会で、当選した彼の得票数である。
 また梁振英は中国共産党の秘密党員だと噂されている。しかし、香港にいる3,000人の党員は、それを認めていない。ちなみに『人民日報』は、彼を「同志」と呼んだことがあった。この文字は、ウエッブサイト上では、いつの間にか消されていた。
 雨傘による非暴力の抵抗は、市民の共感を呼んだ。以後、占拠闘争は学生だけでなく、傘をさした市民が加わるようになった。多くの市民にとって、89年6月4日の天安門事件を思い起こさせるものがあった。しばしば、香港政府は力でバリケードを撤去させようと試みた。しかし、10月15日、警察が占拠者の1人に4分間もの間、暴力を振るっている映像がテレビで放映された。警察は暴力を振るった7人の警官を担当から外し、内部調査を発足させた。これは、占拠がはじまた当初、非暴力の学生たちに催涙弾を使って、市民から批判を浴び、運動がさらに拡大したことの繰り返しであった。
 以後、占拠は続き、政府は学生との対話を受け入れざるを得なくなった。

5.自発的、草の根の運動

 中國の国営マスメディアは、雨傘革命には、組織もリーダーもいない、アナーキーな運動、外国の情報機関に操られた反乱であると、決めつけている。しかし、10月1日付けの『ニューヨークタイムズ』国際版によれば、組織もリーダーもいない、自発的で草の根であることが、この運動の強みであり、長続きの秘密である、と言っている。スマホやその他のソーシャル・メディアが、雨傘革命の武器である。
 梁振英行政長官は、学生組織の1つである「愛と平和でオキュパイ・セントラル」に対して、占拠を止めるように呼びかけた。彼は間違っている。なぜなら、占拠闘争は、数知れぬグループによって、運営されている。夜の座り込みのテントの設営からはじまり、ボランティアの医師・看護師による救護班、法律相談グループなどが設けられている。ごみを集めて、リサイクル用のプラスティックや紙の分別を黙々とやっているものもいる。
 占拠者の合言葉は「清潔と秩序」である。しかし、唯一の未解決は、移動トイレである。公衆トイレに長い列が出来ている。政府は、この問題が占拠者のストレスの爆発につながらないように、官庁のトイレの使用を許可した。
 狭い香港島では、一晩中、道路を占拠している人たちは、朝になると家に帰り、食事をしたり、シャワーを浴びたり、休むことができる。午後には、また座り込みに出かけ、夜になると、雨傘が道路にあふれかえる。
 10月2日付けの『ニューヨークタイムズ』国際版に、「デモの若い顔」と言う見出しで、学生の活動家のプロフィルが載っている。彼は、ジョシア・ウォン(黄之鋒)で17歳の学生である。演説の上手さでは、抜群である。15歳にすでに活動家として、香港政府の「愛国主義教育」の導入に反対した。今回のデモでも彼は重要な役割を演じた。彼が警察に逮捕されたことがデモのきっかけになった。彼は2晩、留置所に留め置かれたが、判事が「人身保護令」によって釈放した。
 彼は、返還の10カ月前に、クリスチャンの家に生まれた、中國支配下に育った新しい世代であり、共産党に疎外感を強く持っている。彼は、常に支持者に囲まれるか、あるいは、リポーターや記者に囲まれている。彼は、街頭演劇のリーダーの1人である。
 しかし指摘しなければならないのは、香港では、天安門事件の時とことなり、学生が運動のチャンピオンではない、と言う点である。占拠を始めたのは学生だった。だが、運動の中核になっているのは、むしろ、20~30代の怒れる若者たちである。香港では、製造業が香港から脱出し、銀行やオフィスは、香港在住者ではなく、本土から雇っているために、高等教育を受けた若い失業者が多い。彼らが、民主化運動の最前線にいる。

6.香港の民主化デモと中・欧米関係

 11月10、11日、北京で「アジア太平洋経済協力会議(APEC)」の首脳会議が開かれる。参加国は21カ国だが、この中に米国、中國、日本などが入っている。オバマ大統領はAPEC後、滞在を1日延長して習近平国家主席と会談することになっている。その打ち合わせでワシントンを訪れていた王毅外相とライス補佐官との会談に、突然オバマ大統領が同席し、「香港市民の志を支持する」と伝えた。
 こうしたオバマ大統領の発言は、米国内で香港の民主化デモに対する同情が高まっていることを反映している。たとえば、ロサンゼルスでは、香港の雨傘革命を支持する市民が、なぜか携帯電話を掲げて、連帯集会に参加した。
 また、英国では、今年の9月30日が、香港返還を決めた94年の英中共同声明から30周年に当たる。この日、キャメロン首相は「事態を深く懸念しており、解決を望む」と発言した。
しかし、英国は植民地支配の間、香港に自治を認めていなかった。どうして、今日、キャメロン首相は、中國に「自由選挙を認めよ」と言えるだろうか。そのことについて、10月28日付けの『ニューヨークタイムズ』国際版は、中國政府が、60年代にすでに英国に対して、香港に自治を認めることに反対していた、と報じている。英国で最近公開された秘密外交文書によると、周恩来首相が、訪中英軍事団との会見の中で、どんな僅かでも自治を認めることは、「きわめて非友好的な行為であり、香港の独立につながる陰謀である」と語った、という。つまり、植民地時代から、総督の、「自由選挙による自治政府」構想は、中國政府の圧力でとんざした。一方、英国はこの中国政府の圧力を利用して、香港の民主化を怠ってきた。

7.雨傘革命の地政学

 雨傘革命を、政府対民主派学生と言う狭い香港の枠組みで見てはならない。中国政府は、香港特別行政区の民主化運動が、北京の天安門の再来に繋がることを恐れている。10月2日付けの『ニューヨークタイムズ』国際版は、すでに本土で連帯を共鳴する動きが生まれている、と報道した。それは、「香港のために禿げ頭になろう」というアドホックな連帯キャンペーンである。香港のデモの映像と、髪を切った姿をネット上に載せた。
 ワシントンに本部を置くNGOの「Chinese Human Rights Defenders (中国人権擁護者)」は、中国政府が、ただちにサイトを削除し、20人余りを逮捕したと述べた。
 中國政府は、今日、中國各地で広がっている土地開発や環境汚染に対する抗議デモに影響することを恐れている。さらに、チベットやウイグルの反乱に影響することを恐れている。しかし、中國政府が、香港の民主化デモに対して天安門型の鎮圧方式をとれば、国際的に孤立は免れないだろう。
 そこでとっている作戦は、共産党の機関紙である『人民日報』が、10月15日、香港の学生デモを旧ソ連圏で起こったカラー革命になぞらえて批判した。グルジアの「バラ革命」、ウクライナの「オレンジ革命」などである。いずれも、学生が広場を占拠して、政府を辞任に追い込んだ。中国政府にとっては、これらカラー革命は米欧が介入し、煽動したと考えている。
中国政府の「陰謀説」の根拠は、10月31日付けの『ニューヨークタイムズ』紙国際版に掲載された肥った入れ墨男の写真である。彼は、Dan Garrett(47歳)、元国防総省の情報分析官で、現在は香港市立大学に留学して、毎日、300ミリレンズのカメラで、占拠者を取りまくっている。 すでに20,000枚撮ったという。ガレットは、学生たちの座り込みデモが、米情報機関の陰謀だとする中国政府の説の、最大の武器になっている。国営の新華社通信は「疑いなく、彼はトップレベルのスパイ」と書いた。