2011年8月
北沢洋子

1.南スーダンの独立

 今年7月9日、南スーダン共和国が誕生した。アフリカ大陸の54番目の国になった。首都はジュバである。人口800万人、東アフリカの内陸国で、「白ナイル川(Bahir al Jebel)」によって作られた広大なSudd湿地がある。
 これまでスーダンは、1956年の独立以後、半世紀以上、南北間で内戦を続けてきた。約190万人が死亡、400万人が家を追われた。第2次大戦以後の戦争の中で最も犠牲多かった。
 やっと、2005年、」「国連、英国、ノルウエーのトリオ」「アフリカ連合ハイレベル実施パネル(AUHIP)」などの仲裁で、南北間の「包括的和平条約」が締結された。これにもとづいて、2011年1月、南スーダンでは独立を問う住民投票が実施され、独立への運びとなった。
 以後、国連安保理1996号にもとづいて、「国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)」が平和維持部隊として派遣されている。
 
2.南スーダンの独立と債務

 これまで、バングラデシュ、ジンバウエ、南アフリカなど、新しい国が誕生する度に、過去の政権の不正義な債務を引き継がされてきた。そこで、今回南スーダンが独立するに際して、旧スーダンが抱えていた380億ドルの債務を、南スーダンが引き継がないように、国際的なキャンペーンが行なわれてきた。 
 旧スーダンの債務の大半は、1970~80年代、Gaafar Nimeiry独裁政権時代に発生したものである。一部は、ナイル川の氾濫に対する救援融資でもあったが、大部分は武器の購入によるものである。たとえば、英国は、70年代、Nimeiry時代に6億6,000万ポンドの武器を売りつけた。英国政府は、この債務のなかで、武器の売却価格を明らかにすることを拒否している。
 さらに、スーダンは、過去30年にわたって、途方もない利子を払わされてきた。380億ドルの債務の中で、200億ドルは変動利子によって生じたものである。
 国際的キャンペーンの結果、北スーダンは、380億ドルの債務のすべて引き継ぐことになった。南スーダンは「債務のない国」として出発することになった。南スーダンが「債務のない国」として出発できたことは喜ばしいことだが、新しい国は、内戦による破壊、貧困、不平等などと戦わねばならない。国際社会は、南スーダンには、融資ではなく、贈与の形で援助すべきである。
 そのかわり、IMF・世銀は、北スーダンの債務を、これから数年の間に、HIPCイニシアティブによる削減を行なうことになった。英国ジュビリーは、北スーダン政府が債務帳消しを受ける前に「人権を尊重し、政治的アカウンタビリティ」を実行するべきだと言っている。そして、北スーダンが返済すべき債務の明細を、第3者によるパネルで「監査(Audit)」するべきである。独裁政権時代の債務は「汚い債務」として、返済すべきではない。