2014年3月26日
北沢洋子

1.イスタンブールで史上最大の葬儀デモ

 さる3月12日、イスタンブールで起こったデモは、トルコ史上、最大規模のデモとなった。これは、その前日に亡くなったバーキン・エルバン君(14歳)の葬儀デモであった。エルバン君は、昨年6月15日、家族のためにパンを買いに行った時、デモに遭遇した。1人の警官の催涙弾で頭を撃たれて以来、289日間、コンマ以下の状態が続いていた。したがって、彼の死は、イスタンブール警察の暴力を象徴するものだった。未だに警官の氏名はわかっていないし、警察は調査をしようとしない。
 当日の葬儀は、正午、彼が亡くなった病院で始まった。葬儀の始まりに1分間の黙とうが捧げられたが、これにはトルコ中の人が参加したかの感があった。人びとは、口々に「エルバンは我々の誇りだ。永遠だ」、「エルドアン(首相)は辞任しろ」、「エルドアンは盗人で殺人者だ」、「我々の子どもは、パンのために死んでいる。お前たちの子どもは、数百万ドルを盗んでいる」などと歌いながら街頭を行進した。エルバン君の母親は、「息子は神に召されたのではない。彼の命を奪ったのは、首相だ」と叫んだ。
 エルドアン首相は、エルバン君の葬儀に沈黙していたが、それと対照的に、グル大統領や一部の閣僚は弔電を送った。これは、少年の死がトルコ社会の広い層に影響を及ぼしていることを示している。

2.エルドアン政権の腐敗と汚職

 葬儀デモは、彼が入院していた病院から始まった。葬儀の進行中、刻一刻とデモの人数は増え始めた。イスタンブールで始まり、首都アンカラ、エーゲ海沿いのイズミールをはじめ、トルコ各地に広がった。東部のトウセリでは警官1人が死亡したが、後に、これは心臓麻痺によるものだったことが判明した。
 ついにデモの参加者数は数百万人にのぼった。トルコの労組の2つのナショナル・センターであるDISKとKESKは、葬儀の始まる正午に、ゼネストを宣言した。トルコ中の繊維工場が正午の1分間の黙とうに参加した。大学やカレッジでは、学生が授業をボイコットした。
3月11日と12日の夜、連続して反政府デモは続いた。機動隊は暴力を振るい、多くの人が傷ついた。機動隊は、大通りに放水車と催涙弾やゴム弾銃を配置して、デモ隊が市の中心部にあるタクシム広場に向かうのを阻止しようとした。デモ隊は、花火や石を持ってこれに応戦した。機動隊は、夜遅くまで、大通りから路地に逃げ込んだデモ隊を追い掛け回した。
 人びとが抗議しているのは、最近暴露された汚職と腐敗のスキャンダルであった。3月30日に統一地方選を控えているエルドアン首相と閣僚たちは、この汚職問題を捜査する司法に圧力を掛け、止めさせようとし、同時にソーシャル・メディアに対して検閲を強めていることに、抗議している。
 以上のような背景から、1人の少年の死が、数百万の人びとを街頭に駆り立てたのであった。人びとは正義を求めているのだ。

3.2013年のトルコ・デモ

 エルドアン政権に対する抗議のデモは、昨年5月28日に始まった。その発端となったのは、イスタンブールのタクシム広場の中にあるゲジ公園のショピング・モール開発計画であった。
 これに反対した数十人の建築家たちが、公園内に座りこんだ。警察は、暴力でもって彼らを排除しようとした。これに対する怒りがトルコ中の人びとに抗議のデモやストに駆りたてたのであった。
 やがて当初の環境保護の座り込みから、報道、表現、集会などの自由、そして、トルコの世俗主義に対する浸食といった幅広い要求のデモに発展していった。このデモには中央指導部と言ったものはない。これは、ウォール街オキュパイ運動や1968年のパリの5月革命などに共通するところがある。
 トルコのデモに決定的な役割をはたしたのは、ソーシャル・メディアであった。商業メディアは、トルコ人口8,00万の内、350万人が参加した史上最大のデモを過小評価しようとした。
 トルコ国内では、デモの数は5,000ヵ所を超えた。また機動隊の暴力によって、11人が死亡し、8,000人が怪我をし、3,000人の逮捕者が出た。
6月1日、ゲジ公園とタクシム広場の機動隊は撤退した。たちまち、タクシム広場は、オキュパイ運動のような解放区となった。数千人がテントを張って座り込んだ。図書館、医療センター、食糧配布所、オルタナティブ・メディアなどが誕生した。
 6月15日、機動隊はゲジ公園に侵入し、占拠者を追い出した。人びとは他の公園に移動し、また他の町の公園を占拠し始めた。ここでは、社会フォーラムを組織して、何をなすべきかについて、議論した。
 エルドアン政権がデモをしている人びとを“少数の泥棒たち”と呼び、彼らに対して暴力を振るい、また対話を拒否していることについて、欧米諸国、国際機関などから非難の声が挙がっている。     
 しかし、デモに参加した人々は、「少数の泥棒」ではない。それは左翼から右翼まで幅広い層にわたっている。そして彼らの要求も初期の段階の環境保護から、人権擁護、インターネットの検閲、シリア紛争、そして最近の奇妙な法令に対する抗議まで、バラエティに富んでいる。それはエルドアン政権が「飲酒の禁止」や「公共の場でキスの禁止」と言った矢継ぎ早やに発令した一連の法令を指している。過去100年に及んだトルコの世俗主義は徐々に浸食され、イスラム化が進行しているのでる。
 昨年5月に始まったイスタンブールをはじめとするトルコのデモは、エルドアン政権の10年間に起こった最大規模の抗議運動となった。エルドアン首相の「正義発展党(AKP)」は2002年の総選挙に勝利して以来07年、11年の選挙にも圧倒的な勝利を収めてきた。経済面でもトルコは、2001年の金融危機から脱却した。それは主として、建設ブームによるものであった。
 しかし、このブームは長続きしなかった。2011年に8.8%の成長率を記録したが、12年には2.2%に下落した。エルドアン首相は、経済ブームを背景に3回の総選挙に勝ち抜いてきたが、大規模な異議申し立てに、どのように対処するであろうか。