2014年5月1日
北沢洋子
おそらくセーシェルがどこにあるか知っている人は少ないだろう。セーシェルは、インド洋に浮かぶ115の島で出来た小さな島嶼国である。地理的、政治的にアフリカ圏に属する。
人口は100,000人で、アフリカ人、インド人、ヨーロッパ人、アジア人で構成される。多くは、フランス、続いて英国の植民地時代に、無人島であったこの島嶼に連行された奴隷の子孫である。したがって公用語もフランス語、英語、クレオール(外来語と土着語の混合)と多言語である。
1.セーシェルはパラダイスか
今日のセーシェルには観光以外の産業はない。
このように書くと、失業者で溢れた貧しい島国を想像するだろう。しかし、セーシェルは、国連の『人間開発指数』ではアフリカの中では、ずば抜けて高い。 教育分野では、初等科と中等科10年間は義務教育になっており、無料である。医療の分野でも、治療も投薬もすべて無料である。国中の道路は舗装されており、公園は熱帯の花と木で溢れている。
最低賃金は、保証されている。そしてセーシェルの最低賃金は、フィリピン、インドネシア、それにいくらかのアフリカなど“スター資本主義国”と呼ばれる国々より高い。
公共交通や水道部門には、政府の補助金が支払われている。同じく文化、スポーツ、その他公共サービスにも補助金が充てられている。
数年前、セーシェルの一人当たりのGDPは7,000ドルだったが、今日では、10,000ドルに達している。
2.分配の社会主義
セーシェルの最高裁判所のモーハン N. バーハン判事(スリランカ出身)は、「セーシェルはパラダイスである。この国は美しく、かつ寛容である。地球上で最も住みやすい国である」と評した。
セーシェルでは、これを社会主義と呼んでいるが、これは正確ではない。なぜなら、セーシェルの唯一の産業である観光業は国営ではなく、民営だからである。生産手段では資本主義である。むしろ、利潤の分配社会主義、あるいは、単純に福祉国家と呼ぶべきであろう。
首都ビクトリアの郊外に、「コルゲート地区」と呼ばれる貧しいコミュニティがある。ここでは、昼間から若い男たちが所在なげにさまよっており、あるいは、街頭の片隅で怒っているように話している。一見すると、ここは危険地域で、不潔のようだ。
しかし、すべての家庭には、水道や電気が通じており、すべての街路は舗装されている。また町の中心部に設備の整った診療所がある。この地区は、マレーシアの中級住宅地に近い。いうまでもなく、ケニア、インドネシア、ウガンダの貧しいスラムとは、絶対的に異なる。
セーシェエルは、独立以来一党支配制だが、野党もある。独立したメディアもある。セーシェルのように小さな国にも、『セーシェル・ウイークリー』という週刊誌があり、毎号政府をこっぴどく批判した記事を載せている。
9月13日号の『ウィークリー』は、「独立の翌年、クーデターで、フランス=アルバート・ルネが政権の座についてから、全国が25の行政区に編成され、これがそのまま選挙区という形で、一党支配制が保証されている。したがって、この政治機構が改革されない限り、セーシェルには民主主義はない」という記事を載せた。
このように福祉国家のセーシェルに、1つ大きな問題がある。それは物価が高いことである。
セーシェルが観光を主な収入源としているので、英国の王子やスエーデンの王女など世界のセレブが新婚旅行や休暇でやってくる。金持ちの観光客は物価を跳ね上げる。住宅でも同じことが言える。開拓地に建つ豪邸は120万ユーロもする。これが庶民の住宅価格を跳ね上げることになる。
このような背景のもとに、2008年のリーマン・ショックが起こった。観光客の激減し、債務はGDPの175%に急増した。ここでセーシェル政府は、IMFに救済を求めるという過ちを犯した。
IMFは2年間で2,600万ドルの救済融資に同意した。IMFは、その代償として、過酷な構造調整政策を要求した。2009年1月、セーシェル政府は8億ドルの債務の半分をキャンセルすることを求めた。債務を返済できなくなったということが、その理由だった。IMFは、セーシェルの要求を無視した。しかし、不思議なことに、このように破産しかけている国に、世銀が900万ドルの借款を供与した。そのため当然のことだが、セーシェルの債務は一層増えた。
構造調整政策の結果、公共部門の予算は大幅に削減された。通貨は流動化した。物価が急騰した。人びとは一夜にして、貧困化した。もはやセーシェルは、パラダイスではない。
外交の分野でも、セーシェルは、西側に接近した。例えば、捕虜にしたソマリアの海賊を裁く法廷をセーシェル国内に設置することに同意した。ソマリアの海賊の行為はセーシェルの領域外で起こった犯罪で、セーシェルの海洋法の領域外である。したがって、この決定は、西側政府の要求に屈したことになる、極めて政治的な決定だったと言える。
これまで、セーシェルは、ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアなどの太平洋の島嶼国に比較すると、独自外交政策を採ってきた。
海賊と同様、麻薬も新たな問題である。今日、麻薬はセーシェル国内で使用されると同時に、ヨーロッパや米国への中継地点になっている。そのため最近政府は、NDEA(国家麻薬取締局)を新設した。しかし、これは、アイルランド人の職員で運営され、セーシェルの国家機関とは言い難い。
このように、「社会主義」と呼ぶには問題があったが、民主的で、平等なセーシェルは、IMFの構造調整プログラムを受け入れた以後は、国家が果たす役割を市場が取って代わったため、物価は上昇し、失業率も上がり、社会的危機に陥ってしまった。さらに、その独自外交も放棄せざるをえなくなった。