はじめに

 昨年10月15~17日、メキシコシティにある国立メキシコ自治大学の経済研究所で「ブレトンウッズ体制を超えて―新しい多角的金融経済秩序を探る」と題したセミナーが開かれた。
 このセミナーを企画したのは、1年以上も前のことであった。私も企画に携わったのだが、当時は、1929年以来のグローバルな金融危機に遭遇するとは予想していなかった。
 はからずしてセミナーは時宜を得た企画となった。セミナーには経済・金融の政策担当者をはじめ、学者、NGOが集まったのだが、メキシコシティという場所柄、ラテンアメリカの参加者が多かった。エクアドルのペドロ・パエス経済政策大臣、アルゼンチンのアルトゥーロ・オーコネル中央銀行理事、ホセ・アントニオ・オカンポ元国連経済社会問題担当事務次長で現コロンビア大教授、ジョモ・スンダラン国連経済社会問題担当事務次長補、また日本からは河合正弘アジア開銀研究所所長などが参加した。
 また、メキシコシティのセミナーの1週間前、10月8~11日、ベネズエラの首都カラカスで、同じような会合が開かれた。これには、途上国の学者、研究者が集まり、「グローバルな経済危機に対する南からの挑戦」について議論した。
 日本での金融危機についての報道を見ると、ほとんどウォール街発のものばかりで、しかも危機のメカニズムの分析に終始している。その処方箋については、多くのエコノミストの論調は、せいぜい規制を強化することにとどまっている。
 私はここで、最近メキシコシティやカラカスなど途上国で行なわれた議論を踏まえた上で、金融危機を途上国からの視点で分析し、新自由主義によるグローバリゼーションに対する根本的、かつ長期的なオルターナティブを探る動きを紹介したい。

1.新自由主義の破産とIMF・世銀の弱体化

 今回の金融危機は、過去30年あまりにわたる新自由主義政策の結果である。新自由主義は、80年代はじめ、レーガン・サッチャーの登場とともに米国、英国ではじまった。
 これは、小さな政府を提唱し、国営企業や公共サービスの民営化を推し進めた。市場万能主義が蔓延した。とくに金融における規制緩和は徹底していた。
 日本では、80年代、中曽根内閣時代に国鉄、電電公社などが民営化された。しかし、本格的な新自由主義は、米欧に遅れること20年、小泉内閣の登場とともに、「改革」の名の下に導入された。さまざまな自由化、民営化、大幅な規制緩和が施行された。その結果、日本は1大格差社会となり、経済協力開発機構(OECD)加盟国中、米国に次いで貧困率第2位の国に転落した。(注1)
 途上国においては、新自由主義はどのように実行されたか。
 新自由主義は、途上国政府の債務危機をテコにして、IMF(国際通貨基金)・世銀(世界銀行)の構造調整プログラムという形で強制的に導入された。
 途上国政府は、対外債務を返済するために、教育、医療、農村開発など民生予算を削り、国営企業や公共サービスを民営化した。貿易、外国投資、金融などを自由化した。その結果、貧困が増え、環境破壊が進んだ。さらに紛争が多発し、難民が発生し、人権侵害が起こった。またブッシュ政権がテロを軍事的に押さえ込もうとして、逆にテロがグローバル化してしまった。
 このように構造調整プログラムは途上国に破壊的な結果をもたらした。これを解決するためには、まず手始めに途上国が抱える債務を帳消しにしなければならない。
 たとえば、途上国政府は、予算がないので子どもにポリオ・ワクチンの無料接種することが出来ない。そのために、年間1万9,000人の子どもが死んでいる。(注2)つまり、途上国政府は、子どもの生命を犠牲にして、債務を返済している。シェークスピアの戯曲『ベニスの商人』によるまでもなく、人間の生命でもって債務を返済することは出来ない。しかも、子どもには債務の責任がない。
 98年、英国バーミンガムでのG7サミットが開かれた時、アフリカなど最貧国の債務帳消しを求める国際的なジュビリー・キャンペーンが始まった。翌99年6月のドイツ・ケルンで開かれたサミットでは、G7首脳は、重債務貧困国に対する総額700億ドルの帳消しを約束した。さらに、06年、IMF・世銀は重債務貧困国の多国間債務の100%帳消しを行なった。
 債務帳消しキャンペーンは、カトリック教会、労働組合、女性、青年、NGOなど市民社会のすべてを巻き込んだ国際的な運動であった。G7首脳を対象にして、そのサミット会場を万単位の「人間の鎖」でもって包囲し、債務帳消しを要求するという戦略と手段をとった。これは、目に見える成果を挙げた。
 債務帳消しキャンペーンは、重債務貧困国42カ国の中24カ国、総額400億ドルという限られた成果ではあったが、国際政治に大きな影響を与えた。たとえば、05年12月末、ブラジルとアルゼンチンが突然、IMFの債務を前倒しで返済すると宣言した。これは、IMFの構造調整プログラムに対する挑戦状でもあった。
 IMFに債務を返済するためにはそれぞれの国内で国債を発行するのだが、その利子はIMFに払う利子よりはるかに高い。それでもIMFの構造調整プログラムを受け入れるよりましだというのが、両国の前倒し返済の理由であった。そして、ベネズエラ、ナイジェリア、ロシア、インドネシアなどとIMFの大口債務国がこれに続いた。
 これは明らかに「最後の貸し手」として途上国に君臨してきたIMFの権威の失墜であった。IMFは、大口の顧客を失って、自らの経営も成り立たなくなった。「IMFの構造調整プログラムが必要だ」というジョークさえ聞こえた。(注3)
 世銀も同様の結果となった。インドなどこれまでの大口の借り手が辞退しはじめた。
 IMF・世銀の弱体化は、新自由主義の終焉の警鐘と言えよう。

2.途上国の食糧危機、エネルギー危機

 今回の金融危機はどのような影響を途上国に与えたのか。
米国が経済不況になり、その結果、対米輸出に依存していた中国、インドなど新興国は大きな打撃を受けた。これがマスメディアの解説である。
 しかし、金融危機が、巨額の資金投機によって起こったものであることを忘れてはならない。世界中のカネが米国に流入し、住宅バブル、株バブルを引き起こした。
 住宅バブルの終焉とともに、投機マネーはエネルギーや食糧市場へと向かい、価格の高騰を起こした。食糧、エネルギーともに輸入に依存している途上国に壊滅的な打撃を与えたことはいうまでもない。とくに、途上国の人口の圧倒的部分を占める貧しい人びとにとっては、これは生死の問題である。
 08年6月、国連はローマで世界食糧会議を開いて、途上国に対する食糧援助を決議した。しかし、援助は一過性のものでしかない。なぜ、途上国の食糧生産が衰退したか、という根本問題に触れていない。途上国に構造調整プログラムが導入されて以来、多くの国が食糧の輸入国に転落したという事実を忘れてはならない。これからは、途上国政府は食糧生産に投資を増やさねばならない。

3.金融は公共財である

 今日、世界中で流通しているカネの97.5%は投機マネーである。1日に動く投機マネーの総額は2~3兆ドルといわれる。この投機マネーの大部分は、ウォール街、シティ、東京、チューリッヒ、フランクフルトなどに集中している。(注4)一方、モノの生産やサービス、流通、消費という実体経済に必要な貨幣はわずか2.5%に過ぎない。
 誰もこの投機マネーをコントロールできない。まさにフランケンシュタインのような化け物となってしまった。
 ブッシュ大統領は、11月15日、ワシントンで「ブレトンウッズII」についての会合を提唱した。これに招待されているのはG20の首脳たちである。G20とは、米国、日本などG8に、EU、オーストラリア、トルコ、中国、インド、インドネシア、韓国、サウジアラビア、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、南アフリカを加えたもので、97年のアジア通貨危機後に発足したグループであった。
 G20サミット対して具体的な提案を出したのはEUであった。それには、(1)多国籍金融会社に対する監視機能の強化、(2)金融機関のリスク・コントロール機能の強化、(3)過度にリスキーな金融機関に向けた行動規範の設置、(4)格付け会社の規制の強化、(5)銀行の自己資本比率規定の統一化などであった。(注5)
 EUの提案に対して、G20は大体のところ合意した。しかしこれらは金融機関に対する各国政府の規制の強化にすぎず、しかもすべて強制力を伴わない任意の規制にとどまる。今回のような金融危機の再発を防げるとはとうてい考えられない。
 現在最も必要とされるのは、「金融」についてのパラダイムの変革である。カネは、カネを生むものではない。本来は、社会を発展させるためにある。水、電気、道路など公共財と同じく、金融は社会の発展に奉仕するものである。
 金融を公共財と同一視するなどは、とんでもないことだと考えるものがいるだろう。しかし、イスラム圏には、コーランにもとづいて利子の概念を否定する「イスラム銀行」がある。これは、銀行が借り手と利益をシェアする制度である。すでに、ロンドン、東京、香港の金融市場に登録されているものだけで300行、資産は5,000億ドルに達している。(注6)ここでは、銀行は公共財と同様である。

4.脱ドル化-地域別通貨の創設へ

 ブレトンウッズ体制は、ドルを基軸通貨にしてきた。実際には、71年、ドルの「金本位制の廃止」によって崩壊している。しかし、その後もドルは基軸通貨であり続けた。
 問題は、ドルを発行している米国が、貿易赤字、財政赤字、さらに国民レベルでもクレジット赤字を続け、トリプル債務を増やしているところにある。さらに、ブッシュ政権の単独行動主義によってイラクでの不法な戦争を続け、膨大な軍事費を垂れ流している。これらは巨額の債務である。したがって、ドルの価値は下落し続けている。
 ドルが世界基軸通貨である限り、米国経済への依存は免れない。
 これを免れるためには、脱ドル化をはからねばならない。ドルに代わる世界通貨には、IMFのSDRが挙げられる。しかしIMFは米国に支配されており、米国依存という点では、なんら変わるところがない。
 そこで、EUの「ユーロ」をモデルにしたラテンアメリカとカリブ海、東アジア、南アジア、中東、アフリカなど、地域レベルでの通貨同盟を追求していくことになる。
 途上国は“貧しい”というイメージがある。そうではない。実際には途上国には、豊かな資金がある。
 第1に、中国、インド、ブラジルなど新興国は貿易黒字による巨額の外貨準備金を保有している。その額は5兆5,000億ドルに上る。(注7)これはIMFの準備金2,600億ドルと比較すると、桁はずれの額である。今までは、このドルは、米国の国債を買うことによって、米政府の財政赤字の穴埋めをしてきた。南には、それぞれの地域独自の通貨基金の可能性は十分にある。
 第2に、これまで途上国から先進国に膨大な額の資金が流れてきた。北の先進国政府の開発援助1ドルに対して、南の途上国が債務返済などで北に支払った額は3.5ドルである。(注8) 事実は、南が北を援助してきたのだ。
 第3に、途上国、とくにアジアでは貯蓄率が高い。また、ラテンアメリカには、各種の年金ファンドや運用基金がある。これまでのところ、ほとんど、これは北の金融機関に吸い上げられてきた。
 これら地域の資金を地域内で使うためには、地域内の共通通貨が必要である。東アジアでは、ACUの名で共通通貨の創設が考えられている。

5.地域同盟の創設に向けて

 脱ドル化をめざした地域通貨の創設には、大陸ごとの地域同盟という政治的、経済的インフラが必要である。古くから東南アジア諸国連合(ASEAN)が存在する。

チェンマイ・イニシアティブ

 ASEAN加盟国10カ国に日本、韓国、中国の3カ国を加えた「ASEAN+3」で作る「チェンマイ・イニシアティブ」構想がある。これは参加国が通貨危機に際してそれぞれ2国間で外貨準備金のスワップ協定を結ぶ。その総額は、830億ドルに達した。
 これを基にして、将来「アジア通貨基金」を創設する、という構想である。

南米諸国共同体構想 

 最近の南米の動きは活発である。
 06年12月、ボリビアのコチャバンバで、南米諸国の首脳会議が開催された。ここでは、首脳たちは、ヨーロッパ連合(EU)のような地域統合、つまり「南米諸国共同体」と「南米議会」の創設をめざすことに合意し、そのためにハイレベルの委員会の設立を決議した。これが実現されれば、南米大陸に、人口3億7,000万人を抱える自立した一大経済圏が誕生することになる。
 なぜ南米にこのような地域統合の動きがでてきたのだろうか?
 これには、ブッシュ大統領の米国が反面教師としては大きな役割をはたした。

米国のFTAA構想の挫折

 94年1月、米国はカナダ、メキシコとの間に北米自由貿易地域協定(NAFTA)を締結した。そして同年末、さらにNAFTA11条を改正して、キューバを除く中米、カリブ海、南米34カ国に拡大したFTAA(米州自由貿易協定)を、マイアミで開かれた第1回米州首脳会議に提案した。
 FTAA構想は、人口8億5,000万人、GDP総額14兆6,500億ドルの世界最大の自由貿易圏が生まれると鳴り物入りで宣伝された。しかし、NAFTAで明らかになったのだが、米国資本とその製品がこの巨大な米州市場を席巻することを意味していた。  
 01年、カナダのケベックで第3回米州首脳会議が開かれた。ここでは、反FTAA、反グローバリゼーションを叫ぶデモが会議場を取り囲むなどしたが、会場内でFTAA反対を唱えたのはベネズエラのチャベス大統領たった1人であった。
 その後、南米には、続々と左翼政権が誕生し、06年11月、アルゼンチンのマルデルプラタで開催された第4回米州首脳会議では、ついにFTAAの創設は否決された。そればかりか、ブッシュ大統領は、大規模な反米デモに見舞われたのであった。

MERCOSURの存在

 ではFTAAに代わるものは何か?
 すでに南米には、95年以来、「南米南部共同市場(MERCOSUR)」があった。これはブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイの4カ国で構成された関税撤廃と貿易自由化を目的とした地域協定である。その後、新しく誕生した反米左翼政権のベネズエラ、ボリビア、エクアドルなどが参加した。
 しかし、MERCOSUR加盟国の大部分は、米国抜きの経済統合を目指しているだけで、米国の新自由主義と真正面から対決しているわけではない。

チャベス大統領のALBA構想

 FTAAに対して、真の意味で「オルターナティブ」と呼べる地域統合構想は、ベネズエラのチャベス大統領が唱える「米州ボリバル・オルターナティブ(ALBA)」構想であろう。
 ALBAの原則は地域内の国や人びとの連帯と協力にある。しかし、これははじめから多国間協定書や、ルールが決まっているわけではない。ベネズエラ・キューバ間、ベネズエラ・ボリビア間などといった2国間協定を積み上げていく。
たとえば、これまで、ボリビア産の大豆を一手に輸入してきたコロンビアが、米国との間で自由貿易協定(FTA)を締結した。そこで、ベネズエラとキューバが、ボリビア産大豆をほとんど買い取るという協定に合意した。キューバはその見返りにボリビアの貧しい地域に医師と教師を派遣することになった。ベネズエラは、このキューバのプロジェクトの支援として石油をキューバに輸出する。
 ここには、ボリビア産の大豆が、物々交換(バーター取引)に近い形で取引され、代価として保健や教育のサービスを提供するという「社会的貿易」という概念がある。これは、ドルを基軸通貨にした「経済的貿易」に対抗するものである。これが、チャベスのいうALBAの一端である。
 チャベスの提唱するALBA構想には、南米大陸の識字計画、無料の医療計画、奨学金制度、緊急社会援助基金、南の銀行、ペトロアメリカ(ラテンアメリカ石油会社)などがある。このなかで、ベネズエラのカラカスに本社を置く「テレスール(南米テレビ)」のようにすでに創設され、操業を始めたものもある。
チャベスのALBA構想は、まだ発展途上にある。しかし、これを、すでにあるブラジルが主導するMERCOSURとどのように調整していくか、今後の課題は大きい。

6.チャベス大統領の「南銀行」

 07年12月、ベネズエラの首都カラカスで、「南銀行(Banco del Sur)」が設立された。提唱者のチャベス大統領の言によれば、南銀行はラテンアメリカ自身の資金で設立され、ラテンアメリカによって運営され、ラテンアメリカに融資する地域開発銀行である。そして、これはIMF、世銀、米州開銀などの「ワシントン・コンセンサス」に対するオルターナティブである、という。
 ブラジル、アルゼンチン、ボリビア、エクアドル、パラグアイ、ウルグアイの7カ国の政府がこれに参加の署名をした。まず、ベネズエラが拠出した70億ドルの資金でもってスタートした。本店はカラカスに、そしてボリビアのラパスとアルゼンチンのブエノスアイレスに支店が置かれる。
 「南銀行」のアイデアは、1998~99年、チャベス大統領が選挙キャンペーンの中で、彼の「ボリバル革命」の政治的手段の1つとして浮上した。
 南銀行は、ラテンアメリカ諸国の外貨準備金をプールして、通貨危機に見舞われた加盟国に融資する。チャベス大統領は、ベネズエラの外貨準備金300億ドルの半分を拠出すると言った。これに対して、ブラジルは、加盟国が、それぞれ3~5億ドルを出資すれば十分だと言っている。
 南銀行の特徴は次の通り。

(1)、南銀行は、これまでのワシントンのIMF、世銀、米州開銀などの融資に付随してきた厳しい「条件(構造調整プログラムなど)」をつけない。これは、ワシントンからの完全独立を意味する。(2)、南銀行は、IMF、世銀のように出資額によって投票権が決まるのではなく、1国1票という国際民主主義の原則を採択する。
 南銀行の誕生は、ラテンアメリカの地域統合の促進と、「新しい金融の秩序」の確立への踏み石となるだろう。
 エクアドルは、南の銀行の設立と同時に、「地域通貨基金」設立と「南の通貨」の発行を行なうことを提案している。とくに単一の通貨の発行に関しては、ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアがすでに支持を表明している。

7.「責任のある金融」条約の提案

グローバル化したサブプライム危機

 07年7月半ば、米国で、低所得者向けの住宅ローン(通称サブプライムローン)の返済不履行が発覚した。これは住宅ローン全体の15%にのぼったが、焦げ付いた額はせいぜい500億~1,000億ドルと見られた。この程度の焦げ付き額では、その影響は米国内に留まっていた筈だった。しかし、この危機は世界中に飛び火した。
 サブプライムローンは、04年頃から始まった。
 当時米国では住宅価格は上昇しており、同時に金利が安かった。そこでローンで家を購入した人は、より安い利子のローンに借り替えた。毎月返済する金利が安くなり、浮いた資金で消費財を購入した。その結果、米国では消費が伸び、好景気が続いた。これは、ITバブルが崩壊して以来、米国経済を支えてきた住宅バブルであった。ただしこれは住宅価格が上がることが前提の話だった。
 一般の消費財と違い、住宅はある一定のカネのある階層以上にしか売れない。しかしこれを、所得が少ない人、クレジットローンの返済が滞っている人などにまで売ろうとしたのが、サブプライムローンであった。商慣例としては貸してはいけない人たちに貸した。
 当然、悪質な騙しの手口を使った。借り手の年収を2倍に書き換える。2年間は利子がタダ、あるいは1.75%と極端に安い利子を設定した。それ以後は7%と高くなるのだが、ほとんどの人は小さな字の契約書を読まない。このようなローン業者の手口は日本でもよくあることだが。

サブプライムローンの証券化

 もっと悪辣な点は、住宅ローン業者がローンを証券に変えて、ファンドに売り飛ばすことだった。住宅ローン証券1.5兆ドルの中にサブプライムローンが入っていた。これが住宅バブルの崩壊とともに、不良債権化したのであった。しかし、最終的に、誰が、どこにこのババを持っているかは判らない。言い換えれば、サブプライムローンというリスクを無限に分割して、世界中にばら撒いた。最初に貸した住宅ローン業者の責任は問われないのだ。

はげたかファンド

 07年末、アフリカなど24カ国が債務帳消しを受けた。ところがその中の11カ国が、「はげたかファンド」の餌食となったことがIMF・世銀の調査によって明らかになった。
 はげたかファンドとは、2国間・多国間の公的債務が100%帳消しになった後、残っている民間債務を、債権者である銀行から叩いて安く買い、新しい債権者として、この債務の返済を、ロンドンやブルュッセルの金融法廷に提訴して、債務の名目価格で債務国から返済させる、という悪辣なファンドのことである。
 はげたかファンドの訴訟はすでに半分くらいの件数で勝訴になっている。彼らが債務国政府から手に入れた金額は、9億9,100万ドルに上る。この金額は、債務帳消しによって浮いた金額の一部であり、教育、医療保健、その他の社会保障費に充当されるべきものであった。
 07年7月半ば、米国で低所所得者向けの住宅ローンの返済不履行が発覚した。いわゆる「サブプライムローン」問題である。これについては、多くの人が語っているので、ここでは省くが、要はこの不良債券がとっくの昔に証券化されて、世界中にばら撒かれていた。最初に貸した住宅ローン業者の責任は問われない。
 途上国では、政府が抱えている対外債務の中で、独裁政権時代に発生し、独裁者のポケットに入ってしまった分や、ずさんな計画であったために開発プロジェクトが失敗して、債務だけが残っているというケースが多い。これを「不当な債務」、あるいは「汚い債務」として、無条件で帳消しにするべきだという運動がある。
 
市民社会の提案

 低所得者向けの住宅ローンの貸し付け、そのサブプライムローンの証券化、あるいは途上国でのはげたかファンドの暗躍などは、過去30年余りに及ぶ新自由主義による金融の規制緩和とさまざまな金融工学(イノベーション)の結果である。
 「イノベーション(革新)」とは聞こえは良いが、実際はだましのテクニックである。だが、これらは金融界では合法行為であり、キャピタルゲインとして、課税されることもない。これを規制するためには、「責任ある金融」制度の確立が必要である。
 市民社会は、これまでの債務帳消しキャンペーンを通じて、貸し手の責任を強く感じてきた。そこで、「責任のある融資憲章」のような国際的な取決めが不可欠であると考えるようになった。これには、融資をする金融機関・政府・民間銀行、借り手である途上国政府、南北の市民社会が参加するべきである。こうして「責任のある融資憲章」は、国際的な公的債務マネジメントの国際ルールを実現できる、と主張してきた。
 今回の金融危機に際して、これまで市民社会が途上国の債務危機の解決策として提案してきた「憲章」を、金融全般の反倫理的な行為を規制する「責任のある金融条約」に代えることを提案する。これまで国連は「テロ資金供与防止条約」など数多くの条約を締結している。新しい条約を締結することは、政治的意思があれば、そんなに難しいことではない。
 金融危機の根本的解決のために「責任ある金融条約」の締結を提案したい。

注1 2006年7月OECD対日経済審査報告書(日本の貧困率は13.5%)
注2 1998年UNICEF報告書
注3 2007年9月29-30日付け『ヘラルドトリビューン』紙
注4 「Halifax Initiative」カナダ2001年3月、「CTTについてのQ&A」より
注5 2008年11月5日付け『ファイナンシャルタイムズ』紙
注6 2007年11月23日付け『ヘラルドトリビューン』紙
注7 2008年11月5日付け『ファイナンシャルタイムズ』紙
注8 2004年7月「沖縄サミットにおけるジュビリー国際会議の合意書」