アジア太平洋資料センター(PARC)は、1960 年代に日本全国に広がったベトナム反戦運動(ベトナムに平和を!市民連合、通称「ベ平連」)の中から生まれました。ベ平連の主要メンバーが、海外の草の根の市民や活動家、ジャーナリストに向けた英文雑誌『AMPO』(日米安全保障条約の略称である「アンポ」の意)を創刊しました。当時創設メンバーは、沖縄における米軍基地問題は日本とアジア太平洋、世界の平和を考える上で最重要課題であったと認識していたため、この名称がつけられました。50 年が経った現在も、沖縄から考える平和、そしてその主体となった市民運動の歴史は、PARC にとっての原点であり続けています。
アジア太平洋民衆運動アーカイブを公開するにあたり、100 号以上にも及ぶ英文雑誌『AMPO』の中で、特に沖縄に関連した特集号や記事を集めた特別コーナー「沖縄から考える平和」を設置しました。


<AMPO Nos. 07-08 (1971)>
1971年に英文『AMPO』が沖縄特集を組みました。それは戦前より沖縄が歴史的に内地から受けてきた差別構造を明らかにするとともに、米軍基地による様々な苦難を記した数少ない英文メディアとなるだけでなく、抑圧された人びとの国境や立場を超えた連帯を紹介するものとなった。
(コザ暴動を受けて)
“More enthusiastic support came from a different source. Thirty Black GIs stationed inside Kadena announced that the Okinawan people were receiving the same kind of treatment that they themselves received as Blacks, that the action of the people of Koza was perfectly justifiable, that it was ‘beautiful'”
「より熱烈な支持は異なったところから寄せられた。嘉手納基地に配置された30名の黒人米兵は自分たちが黒人として受けている扱いと同様の扱いを沖縄の人びとが受けており、コザの人びとの行動は全く正当なもので、『美しい』と表明した。」


<AMPO No54 / Vol. 14 No. 4 (1982)>
沖縄「返還」から10年の節目に二度目の沖縄特集が組まれました。
10年後の沖縄が直面していたのは、まだなお残る米軍の訓練による環境破壊や住民への暴力、米軍の代わりに入ってきた自衛隊との摩擦や、米軍基地の縮小による失業やバナナの輸入自由化に伴うパイナップル産業への打撃などの経済問題であった。
米軍基地が面積では縮小されても沖縄は日米安全保障にとって「要石」と位置付けられていることに変わりはなく、平和への祈りは十分に届かない.

“Okinawa, where most U.S. fighting units in Japan are concentrated, has been assigned a more important role than ever” (Takamine Choichi)
「沖縄には日本にいる米国の戦闘部隊のほとんどが集中しており、いつになく重要な役を割り当てられている」(高嶺朝一)


<AMPO No. 103 / Vol. 27 No. 1 (1996)>
1996年4月1日を迎えた瞬間、米軍基地に貸し出されていた知花昌一氏所有の土地の使用期限が切れ、そこから長い不法占拠にかかわる裁判闘争が展開された。
政府自身が法を犯し、後から法律を書き換えてまで占拠を続ける事案は基地と安全保障という錦の御旗が法治国家と民主主義を揺るがすものになりかねないことを示唆するきっかけとなった。

“Increasingly, people are debating the question of exactly what security means, and how they can work to create real security in the region without relying on the threat of military forces” (Jens Wilkinson and Koshida Kiyokazu)
「増々、人びとは安全保障とは実際のところ何を意味するのか疑問を持ち始めている。そして軍事力の脅威に依存することなく地域の真の安全保障を実現するために何ができるのか考え始めているのだ」(ジェンス・ウィルキンソン、越田清和)


<AMPO No. 111 / Vol. 29 No. 1(1999)>
1999年、G8サミットを翌年に控えながらも沖縄経済はいまだ多くの課題を抱えていた。基地関係の支出が県予算の約1/3を占める不健全な財政事情があり、さらに実態として大学を出た若者の新卒失業率が3割近くに上る沖縄の人びとの悲痛な叫びがあった。そんな中、人びとは環境的持続可能性や多様な文化活動を切り口にそれまでの基地経済に依存する沖縄経済とは異なる道筋を求めていた。

“Okinawan people have already started to argue issues of economy and development in linkage with military issues, and have tried to create alternative economies … these movements stem from anti-bases movements, but they are also a challenge against the meaning of “wealth”. … The challenges of Okinawan people to create an alternative economy are also struggles against social injustice and inequality, which are symbolized by the bases” (Koshida Kiyokazu)
「沖縄の人びとはすでに経済と開発を軍事問題と関連付けて議論し、今のようではない経済をつくるための努力をし始めている … これらの運動は反基地の運動から生まれながらも『豊かさ』の意味を問い直すものである … 沖縄の人びとが今のようでない経済をつくるための課題は社会的不正義や不平等との闘いであり、それは基地に象徴されているものである」(越田清和)

これら特集号のほかに多数の沖縄に関連した記事が『AMPO』には掲載されてきました。
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